偲ぶ週末

2016年2月11日(土)
 
法事のため、久々に親戚で集まりました。
 
私の父方の祖母は2004年に亡くなっているのですが
元気な頃は沖縄に暮らしていて親戚も友達も沖縄・・
でも、長男(私の父)は東京、長女は千葉にいたため、
最期は介護を一手に引き受けていた叔母の元で迎えました。
そのため、「お墓をどこに作るか」がなかなか決められずに
ずーっと遺骨は叔母の家に置いていたのです。
 
今回、長男夫婦である私の両親が都内に墓を購入したので
おばあちゃんもここに入ってもらうことになりました。
 
ということで、10年以上経ってからの納骨式。
都内での身内の葬式や法事はほとんど経験ないのでドキドキしましたが
お寺に集合し、30分ほどの読経とお焼香
その後場所を移して納骨という流れでした。
 
長時間の読経中に泣いたりぐずったりしないか心配
でしたが
息子っち、お坊さんに興味津々でじーっと見入ってました。
さすがに途中で飽きてきたようなので一度外に連れ出しましたが
「中にいれろー!見たいんだよ
!!」と自己主張するので
結局ほとんど中にいました。
歩き回ったりはしたけど、声を出したり泣いたりはしなかったので良かったかな。
 
お焼香の時は私と並んで立ちましたが
旦那っちの数珠を持ってちゃんと手を合わせていたので、叔父叔母がびっくりしてました(笑)
うーとーとー、練習してて良かったね
 
お墓といっても、最近増えているビルの中の納骨堂です。
初めて見ましたが、墓石には「○○家」という名前の他にオリジナルでお花なども彫れるそうで
(うちのはハイビスカス
でした(笑))
いわゆる「みんな同じで狭いロッカータイプ」という印象は受けませんでした。
 
お墓参りもしやすそうで、納骨の最中にもほかのお墓に何組も
お参りの方が見えていました。
 
おばぁちゃん、ようやくお墓に入れたね。
ひ孫もご覧のとおりすくすく成長しています。
またお参りに来るからゆっくり休んでね~
 
 
納骨終了後は近くのホテルで会食しました。
納骨が14時から、食事は15:30からという中途半端な時間でしたが
久々に集まったこともあり、話も尽きず、お酒もどんどん運ばれてきて(笑)
とても楽しい時間となりました。
 
そうそう、全員喪服とのことで、息子っちの服装に少し悩みましたが
普段も着られそうな白のポロシャツと黒のズボンを購入。

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イオンでキムラタン半額セールお買い得でした♪
従妹のおねぇちゃんに遊んでもらって、とても嬉しかったようです。

私の弟のところは小学6年(男)、5年(女)、幼稚園年長(女)と
3名子供がいるので、これからはたまに遊んでもらおうかしら・・??
 
たくさん食べてたくさん走り回って疲れたんでしょうね。
会食終わって帰りの電車に乗ったとたん爆睡して
翌朝まで起きませんでした・・。
一日お疲れ様~


そして、翌12日のことも書いてしまおうかな。
私の恩師のお通夜が入り
二日続けて喪服を着ることになりました。
 
私は高校1年から結婚するまで20年以上、一般吹奏楽団でトロンボーンを吹いていたのですが
この楽団の創設者であり、以前の常任指揮者だった先生が亡くなったのです。
もうだいぶ前に引退され、最近は年賀状のやりとりのみになっていました。

享年90歳とのこと。
昨年卒寿のお祝いをされたそうで
一年ほど前に撮られた家族写真は血色もよくお元気そうな顔で映っていました。
最期まで先生らしく過ごされていたのかな?

私、先生との会話でとても印象に残っていることがあるのです。
(ちょっと音楽オタクな話なのですけど・・)
当時19歳くらいだった私、先生は65歳くらいでご友人の葬儀に出られたという話題でした。
音楽仲間だったそうで、葬儀の時にベートーベンの交響曲第7番がかかっていたそうです。
(※ベト7:ドラマ「のだめカンタービレ」でよく流れていた明るい曲です。)

故人の希望でこの曲だったそうなのですが
ベト7は明るすぎてお葬式には合わないだろう・・と腑に落ちない私に
先生は「とても彼らしくてぴったりだったよ。」とおっしゃっていました。
先生がもし亡くなったらどんな曲を選びますか?と聞いてみましたが
うーん。まだ決められないなぁ・・。でも、ベト7が葬儀にピッタリというのは
きっと君が年を取ったらわかるよ。と言われたのです。
 
つい最近(先生の訃報を聞く前)、この時の話を思い出して
あー、今ならよくわかるなぁ。私、今死んだらやっぱりベートーベンの第九番がいいな。
ところで先生どうしてるかな?元気かしら??と思っていた矢先に連絡が入りました。

お通夜では読経が続いていて、特に音楽は流れていませんでしたが
きっと告別式では最期のお別れの際に先生が選んだ「人生の1曲」が流れたのだろう・・と想像しています。


初めて会った時からおじいちゃんでしたが(笑)
とってもダンディで優しくて素敵な先生でした。
先生が指揮棒を振る姿はたぶん一生忘れませんし
一緒に作った音楽の一つ一つもきっと忘れられません。
 
先生、ありがとうございました。
先生に教えてもらった音楽の楽しさは、きちんと息子にもまわりの友人たちにも伝えていきますね。

(追記)
そうだ。書き忘れるところでした。
 
先生のお通夜の席で、ばったり中学時代の部活の顧問と再会しました。
中学時代にトロンボーン吹奏楽に出会い、
とにかく部活動に夢中だった私にとって、顧問の先生は一番身近な存在でした。
卒業してからずーっと連絡も取らず・・でしたが
実は結婚する直前に一度ばったり会ったことがあるのです。
ただ、その時にあわてて交換した連絡先がうまくつながらず
(私がメールアドレスを紙に書いたのですが、書き間違えたのかな?エラーになったそうな・・)
それからまた6年ほど経っていました。
 
亡くなった恩師の先生がまた引き合わせてくれたんだな・・と嬉しく思いました。
今度こそお互いのアドレスと電話番号も交換したので
またゆっくり会ってお話できる機会がもてたらいいなぁと思ってます。
 
そういえば、先生の通夜振舞いの席は所属していた吹奏楽団のOBOGが集い
さながら同窓会のようになっていました。
懐かしい先輩方にもたくさん会えて。
これも先生の人徳ですね。