命どぅ宝

今日は大阪出張

出張は体はしんどいけど、ブログは捗ります(笑)


昨日の夜中、息子っち寝てから家で仕事をしなければいけなくて起き出した時に
何故かふと気になってFacebookを覗いてました。
(最近はあまり長時間見てないのですが・・)

そこで知人が知らせてくれていたのは、私の親戚のお悔やみ記事。
沖縄は朝刊にお悔やみがたくさん載っていて、みなさん必ずチェックするのです。

亡くなったのは、私の祖母の義姉にあたるおばあちゃん。
私の父からすると伯母。
このおばぁの長男おじさん(私の父の従兄)は先月うちの実家に遊びに来てくれたので
一緒にご飯食べたばかり。
息子っちもたくさん遊んでもらった大好きなおじさんです



このおばぁのお悔やみを知らせてくれた知人は沖縄で戦跡ガイドなどをされている方。
そして、おばぁは貴重な語り部の一人でした。


沖縄は本土が戦場となり、民間人がたくさん犠牲になったことは有名です。
でも、アメリカ兵ではなく日本兵に殺された民間人が多くいたことはあまり知られていないのでは?

これは私も数年前に知ったことですが、私の祖母の父、兄、弟は日本兵に虐殺されたそうです。
渡野喜屋事件と呼ばれているそうなのですが
米軍占領下の村で避難民となっていた市民のもとに、ある夜日本兵が現れ
男は山へ連れて行き、女子供は浜へ並ばせて・・。

おばぁは一番端に並んでいて、連れいていた子供が泣いたため屈んだところに
榴弾が投げつけられたそうです。3つも。
気がつけばさっきまで一緒にいた人々は大勢亡くなり、またおばぁも含め多くの人が怪我をして・・。
おばぁにとって夫も義父も義弟も義妹も(私の祖母にとって実の父や兄弟)亡くなりました。
この時に泣いて母親をかがませたのは、先に書いた父の従兄のおじさん。
小さかったので当時の記憶はあまりないと言っていました。

この事件の話を初めて聞いたとき
私はもっとたくさんのことを知らなければいけないと感じたし
伝えていかなければ・・とも思っていたのですが
結局おばぁには一度も直接会うことができませんでした。

うちの祖母も2004年に亡くなっています。
戦時中のことは私には一つも話したことがありません。
自分の家族をこんな目にあわせた戦争を・・、自分の孫には言えなかったのかもしれません。

戦後70年以上が経ち、当時の語り部も一人また一人と旅立っています。
でも、平和を願った沖縄の人の思いは、沖縄だけでなく多くの人の願いは
今、きちんと伝わっているのでしょうか?

息子っちが少し成長したら、私は自分が知っている限りのことを(体験もしていないけど)伝えていかなければいけない。
息子っちの命が、あの戦禍を潜り抜けて、どれだけの奇跡を集めて生まれてきた宝物なのかということを。

そして、この子達が成長して活躍する世代になった時に
平和な世の中であるように、今一度強く願います。

美代おばぁちゃん。
安らかに。