73歳のお祝い

今日はちょっと私の母の話を。

昭和22年、亥生まれの私の母、今年で73歳(かぞえ)になります。
母は沖縄の石垣島出身なのですが
母の故郷では「トゥシビー」と呼ばれる生年祝いの習慣があって
毎年その年の干支の人みんながお祝いされるのです。
13歳、25歳、37歳、49歳、61歳、73歳・・
85歳から上はもう本当に盛大にお祝いされ、
97歳は「カジマヤー(風車)祝い」と言って、
風車で飾られたオープンカーに乗って町内をパレード


母も一昨日石垣島に飛びました
今日2/7(2月にはいって最初の干支の日)がお祝いの会当日。
町の大きなホール?公民館?に亥年生まれさんがみんな集まって
今頃ステージで踊ったり歌ったり、ご馳走も食べながら楽しんでいるはず

昨日も同級生と食事会があり、明日はバスで観光するんですって。
昨晩電話で話したのですが、もう声がすっかり「娘」になってましたよ(笑)


私は母が49歳のお祝いの時に一緒に石垣島について行き
お祝い会の様子を公民館の後ろのドアに貼り付いておばあちゃんと一緒に見たことがあるのですが、
もうとにかくびっくりすることばかりでした。

まず、13歳(小学生6年生)以外は女性は全員着物!
こんな幅広い世代の人が大勢集まり
各年代ごとに出し物(余興)があって、必ず1回はステージにあがるんです。
母みたいに故郷を離れていて練習に参加できていない人は、
前日とかに猛特訓するとかしないとか(笑)

当時私はまだ大学生で成人式の後すぐくらいだったのかな。
24歳でまた華やかな着物が着られることがとても羨ましく。
そしてとにかくみんな芸達者なことに驚き。
こんな全力で楽しむ大人(特におじい、おばあ)にもびっくり。
もう東京では全然考えられない光景がとっても印象に残っています。

今年は残念ながらお祝いの会は見られませんでしたが
土曜日に私達家族も石垣島へ向かう予定です。
旦那っちと息子っちは石垣へ行くのは初めてなので
まずはおじいちゃん、おばあちゃんのお墓参りと
すっかり娘に遡った母も連れて、のんびり観光してまいります~。
わくわくどきどき


今回石垣に帰るにあたって、母は「もう故郷へ帰るのは最後かも・・」と
若干覚悟を決めている節があります。
母の母であるおばあちゃんが亡くなったのが78歳。
その年齢に近づいてきていて、いろいろ思うこともあるのでしょうね。

故郷から遠く遠く離れた場所に嫁いだのは
紛れも無い母の希望だったのですが(若いころはとにかく田舎がイヤだったと・・)
中学卒業と同時に島を出て本島へ行き
その後結婚と同時に神奈川→東京と関東に住むことになり
自分の親とも結婚後ほんと数えるくらいしか会ってなくて。
いろいろ苦労もしたでしょうし、寂しい思いもしたんだろうなと思います。

次の85歳のお祝いも元気で石垣に帰って欲しいと思っていますが
まずは今回の旅で、故郷の空気やお友達からたくさんのパワーをもらってくれたらいいな


お母さん、73歳おめでとう~❤
(ちなみに、うちは父も同じ年ですが、父の生まれ育った那覇はこの風習はありません。ただ、同窓会はありそうなので、年内にまた沖縄についていっちゃうかな😆)